オタゴン無法地帯

Vtuberオタゴンのブログです。動画にするほどじゃないけどツイートには長すぎることを書きます。

友達の家でPornhubにあるVRChatのエロ動画を見た元旦

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俺を元旦に泊めてくれた友達のげそにんちゃん

結局、2019年は何も上手くいかなかった。

三年前に今の仕事を始めてからというもの、年が明ける前はいつも“今年も何も成し遂げられなかった”という溜まった汚れのような敗北感だけを感じてきた。じゃあ仕事を始める前は毎年輝かしい年明けを迎え、決意と希望に満ち溢れていたのかというと、もちろんそんなことはない。

いつも仕事は上手くいかねえし彼女できねえし童貞だし、その上2019年は中身が男性のVR美少女に構ってもらえないというハードSFな悩みまで抱えるようになってしまった。VRに逃げてきたのに、俺はそこでも非モテでキモオタで人類における残念賞の枠であるということを突きつけられてしまった。俺は2020年になったらどこに逃げればいいのだろうか。

クソみたいな悩みにうだうだ言ってたせいで、今年は映画もほとんど見られなかった。数少ない俺の素晴らしい部分もゆるやかに崩れ始めている。大学時代は年に300本以上見てた俺が見たら泣く姿だ。でも大学時代の俺が最高だったのかとそういうこともなくて、あの時はただ見るために見ていただけで純粋に映画が好きだったわけじゃない。俺は映画好きな俺が好きだった。俺はどこに行ってもこんな奴なんだ。

晦日の夜、俺は友人であるVtuberのげそにんちゃんの家に泊まりに来ていた。げそにんちゃんは異常なほどにバンドデシネ、つまりフランス漫画に詳しいVtuberの友達で、今年はよく彼の家に遊びに来ていた。彼の部屋にはバンドデシネの原著が山のように積まれており、そこへ来るたびに俺は自分も頑張らなければと襟を正すような気持ちになれた。ちなみに俺は痛風持ちで、げそにんちゃんは不整脈。俺たちは共に23歳だ。

 

げそにんちゃんの家でパーティーなど、特に何かをしようというわけではなかった。ただ俺は年末年始に親戚の集まる実家にいたくなかった。そんな理由で泊まりたいと言う俺を、げそにんちゃんは快く受け入れてくれた。親には仕事の人に誘われてどうしても行かなきゃいけない会がある、と適当な嘘をついた。最低だと思う。

晦日の夜から年明けにかけては、ひたすらにゆるやかな時間だけが流れていた。いつでもできるような雑談をしつつ、俺とげそにんちゃんはお互いに抱えた作業を進めていく。豪勢な食事や酒があるわけでもなければ、そもそもテレビも部屋にないので年末感はまったくない。ガキつかも紅白もどこ吹く風という感じだし、そもそも俺は痛風持ちなので豪勢な食事ができない。俺たちは心地よく社会から隔絶されていた。年明け10分前ほどに、そろそろ年が明けるということに気づく。

「あーげそにんさん、そろそろ年明けっすよ」

「そーっすね」

「あー明ける、明けっ……」

「あっ、明けた」

「あー、明けちゃいましたねえ」

といった風に、俺たちは年明けという茫漠すぎる記号に対してひたすらに無抵抗だった。その線を踏みこえる準備も気概もなく、俺たちは2019年をだらだらと抱えたままここに来てしまった。その後、日の出なども見ることなく、ただ眠くなったので俺たちは寝た。

次の日、げそにんちゃんがお雑煮とちょっとしたおせちを出してくれた。

げそにんちゃん手作りの豚肉と白菜と餅の入ったお雑煮は、白だしが効いていて美味かった。俺の家の雑煮といえばれんこんやらごぼうやら里芋やらが泥臭いまま放り込まれ、その上味付けは最小限という老人の病院食のような雑煮で、とにかくこれが嫌いだった。畑の土を溶かしたような味がする汁の中に餅が無残に放り込まれ、これが特に最悪だった。この雑煮を食うだけで年明けというのは老人が執着する謎の儀式であることを思い知り、俺はそれに強制的に付き合わされているのだという憂鬱な気持ちになった。

でもげそにんちゃんの作った若者の雑煮を食っている時、俺は23歳にして初めて年明けを自分のものにしたような気がした。何かが良くなっていくように思える味だった。

1/1の昼間、げそにんちゃんがフランス漫画の資料を漁る横で、俺はPornhubを開いて「VRChat」と検索していた。VRCのエロ動画がそこに存在しているらしいという噂をツイッターで見かけたのだ。その行為は俺が友人の家でエロ動画を見る異常者となることを意味していたが、そこに向き合わなければ俺は2020年と戦えない気がした。ここで逃げれば、俺は一生2019年の最悪な俺のままになってしまう。だから戦う。絶対にエロ動画を見なきゃいけない理由がある日が、人生にはある。俺は元旦の友人の家でそれを迎えたのだ。ここでVR美少女のエロ動画を見たとして揺るがない自分になれれば、何かが変わっていけるかもしれなかった。

俺は強靱な意思をもってその動画を見た。だが結局、俺は意思を固めた程度で何かに立ち向かえるような人間ではなかった。それを忘れていた。動画を見た俺は絶望に頭を抱えた。詳細は伏せるが、その内容を俺のコンプレックスを大いに刺激するものだった。こんなこと簡単にできて動画までアップしているような連中がいるのに、それに比べて俺の情けない悩みはなんなんだろう。

世界から疎外されているという強烈な感覚に、友人の家ということも忘れてうーあー呻いた。最悪だった2019年に足を掴まれ引きずられているような気がした。VR美少女のエロ動画を見て呻く俺の姿は、さぞ狂人のそれだっただろう。しかしげそにんちゃんはそんな狂人をガン無視して、ひたすらにバンドデシネを読み込んでいた。その距離感が心地よかった。2020年の元旦からこんな悩みに苦しむ自分の全てが嫌だったが、げそにんちゃんのそんな態度だけが俺を救ってくれた。

2020年1月1日。AKIRAブレードランナーも、過去になっていた。

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

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  • 発売日: 2015/03/15
  • メディア: Prime Video
 

ひとしきりVRCのエロ動画を見て死にたくなった俺は、こんなことではいけないとフタコイ オルタナティブの11話「燃える二子魂川」フリクリの4話「フリキリ」を見た。やはりいつ見てもイカファイヤーをバイクで追い抜く恋太郎や場外ホームランをぶちかますハル子の姿は俺に勇気をくれる。どちらもオールタイムベストなアニメの中の一本だ。こういう節目にはよく見返しているし、何度見ても発見がある(ちなみにこの2話は『野球』という部分で繋がるポイントがあるのでセットで見るのにオススメだ)。

うだうだ言ってるだけでは何も変わらない。男はバイクに乗って走らなきゃいけないし、打席に立って本番でバットを振らなければならないのだ。そのためには、悔しい気持ちがある時ほど研鑽を積まなければならない。来年こそ恋人をゲットして仕事でも大成功して最高の男になる。そんな決意を込めて、俺は大江健三郎の短編を三本読んだ。墜落した飛行機に乗っていた黒人兵を家畜のように飼育する子供たちを描いた「飼育」が特に良かった。黒人兵の強靱な肉体に閉塞した自分自身を打破する何かを見出す主人公の少年の視線が、残酷な瑞々しさをもって描かれており、俺にはその少年が俺自身に重なるような気がした。

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

死者の奢り・飼育 (新潮文庫)

  • 作者:大江 健三郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1959/09/29
  • メディア: 文庫
 

 翌日、つまり今日。昼過ぎまで寝た俺は15時ごろに起きてから機動戦士ガンダムSEEDの10話「分かたれた道」を見た。そうして昨日頑張ろうと決意したばかりなのに結局何もしていない自分に気づき、せめて少しでも怠惰に抵抗しようとこのブログを書いている、というわけだ。

今日のブログの最後に、今年の抱負を書き残しておこうと思う。抱負など決めるのは正直あまり好きじゃないが、こうしてブログにはっきり書き残して一年間意識し続けるなら意味があるような気がする。俺は抱負というものを決めるくせに一週間かそこいらで忘れてしまう自分になるのが嫌だ。俺は次に書く言葉に、せめてこの一年だけは相応しいと思える生き方がしたい。

「美味いもん食って、マブいスケ抱くために生きる」

仁義なき戦い 広島死闘篇に登場するヤクザ、大友勝利のセリフに「わしら美味いもん食ってよ、マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの?」というものがある。今の俺は痛風だしモテないが、そういうギラギラした夢を諦めたくはない。そのために映画を見て、アニメを見て、本を読む。2020年はそんな風に生きていこうと思う。結局去年までと変わらない気もするが、何も決めずに生きるよりマシだろう。

そんなわけでみなさん、2020年もオタゴンをよろしくお願い致します。あけましておめでとうございました。

仁義なき戦い 広島死闘篇

仁義なき戦い 広島死闘篇

  • 発売日: 2014/12/16
  • メディア: Prime Video